月別: 2013年11月

恐れからの解放

恐れからの解放

マーリン キャロザース著、 雲の間にある虹出版

「獄中からの賛美」「賛美の力」で世界中のクリスチャンに あたらしい
信仰への姿勢を知らしめた 著者による10年ほど前の著作だが この
不安な世界情勢の故か 又 新たに脚光をあびはじめた書籍です。

身におこるすべてが 神への信頼を学ぶために 神が備えられた機会
なのだと 信じる事が 恐れを打ち負かす重要な鍵と本書は明示してます
ローマ人への手紙 8:28、 申命記31:8、マタイ10:28. ..
など 数えきれないほど聖書には 私たちへの神様からの励ましが記されて
ます 不安のない、 恐れのない人生を生きてる人は ひとりもいないと
おもいますが どうぞ 著者の再発見したその術を 本書からご自分の
ものとしてください。

東北被災地ボランティア2

*一年前の3月11日、午後2時46分、日本にとって歴史上最強の地震が東北地方を襲った。その地震の強さは世界でも5番目と記録された。

*その地震は40.5メートルにも及ぶ強大な津波を及ぼした。

*その地震は地球の軸を10cmから25cmも動かした。

*18の県、または都府で15,850人の人が死亡、6,011人が怪我、3,287人が行方不明、また、125000件もの建物が破壊した。

*管直人首相は、”第2次世界対戦以降65年で最も日本が危機に陥った日。”と述べた。

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始まり:

*9月のある日、母が添付してくれた、日本で援助活動をしている僕の友達の松本秀一からのEメールを読んだ。母は冗談っぽく”あなたもやったら?”と言った。

僕は、”オッケー、僕もやりたい.”と答えた。

*2011年10月3日、僕は日本に向かった。

*秀一が成田空港に迎えにくるはずなのに、一時間経っても秀一の姿は見えない。

持っていたラップトップで秀一にメールすると、案の定、僕が来るのは次の日と思っていたようだ。この時、これから2ヶ月の日本滞在がままならない経験になる、と確信した。

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モービルカフェ:

*目的地にやっとたどり着いた僕を待っていた仕事は、瓦礫を片付ける事である。僕はあまり瓦礫の片付けに貢献したとは思えない。被災地でのボランティアの働きは、片付けの他に仮設に行って、物資をとどけたり、モービルカフェを設置することだった。

*CRASHの人達は肉体的労働よりも被災者の精神的な面に焦点を当て、特にモービルカフェに力を入れた。

*モービルカフェは仮設の一部を借りて行われ、そこに住む仮設の人々を招いた。

*そこではベルギー風のワッフルを作り、コーヒー、お茶、音楽と共に提供した。

*普段日本政府が提供しないようなそんな暖かいおもてなしに、被災者の方々はとても喜んだ。

*モービルカフェは素晴らしいアイデアだとおもう。なぜなら、被災者の方々が外に出て、他の人々と交わるチャンスを与えたからである。

*被災者の方々は、モービルカフェでいろいろな話を分かち合った。命からがらで逃げて来た話、一瞬の決断が生死の境目になった話である。

*仮設では、被災者の方々は近所に誰が住んでいるか殆ど知らなかった。このモービルカフェを通して少しずつ近所の人と交わり、被災の事について話し合う事がどんなに大切な事だったろうと思う。ボランティアの人でもそれは分ち合えないのだ。

*最初はキリスト教については何も語れなかった。被災者達もそれどころではなく、聞く耳を持つどころではなかったと思う。

*その代わり僕らはイエス様を行動によって見せるようにした。そのうちにだんたんと皆が打ち解けて来て、キリスト教や、神の事について聞いてきた。僕らが無理矢理彼らの境域に押し入るのではなく、彼らがドアーを開けやすいようにした。

*僕らは僕らの行動によって、溢れる愛によって神を伝えようとした。

*時間が経つと、被災者の人達にイエス様の事を伝えたり、一緒にお祈りする事が出来るようになった。

*しかし、それでも多くの被災者は神の事を語りたがらず、それは、神がなぜこのような未曾有の災害を彼らにもたらしたかを理解出来ないがゆえのものであった。

*僕は、モービルカフェで大変苦労をした。それというのは、被災者の方々が話している事の内容を殆ど理解できなかったからである。話が理解出来ないという事は、僕は何も役に立ってないと思い始めたのである。

*ある日、僕はモービルカフェに来ていた子供達と遊ぶチャンスに恵まれた。

*神様は僕が被災者とのコミニュケーションが出来なく、自分の事を”役立たず”と思い始めた事をちゃんと見ておられた。

*子供達とはコミニュケーションはいらなかった。子供たちは津波、大震災以降思い切り遊ぶチャンスがなかったので、とても喜んであそんでいた。僕はただ、子供達と無心に遊んだ。

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希望の木:

*陸前高田には”希望の木”と呼ばれている木がある。

*この松の木はただ一つ、津波から生き残った木である。だから、”希望の木”なのである。

*日本の人達はこの木を希望のシンボルとし、それに拝んでいる。

*政府でさえも、この木を守ろうと躍起になって努力している。

*しかし、どんなに人々が躍起になろうと、この木は瓦礫と、油と、海水にまみれて死んで行く。

*宗派の違う仏教のお坊さんまでこの木のところに来て拝んでいる。

*日本の人達はなぜ、この死んで行く木に希望を持とうと躍起になっているのだろう?

彼らはなぜ、永遠のものに目をむけず、”物”に向かって拝んでいるのだろう?

ただ唯一の永遠のお方である、イエス様にその希望を向けた方が確かなのである。

 

学んだ事:

*神はこの未曾有の大災害の中でも、人々に愛を与え、それによって動かされた人々が物資を提供している。希望を持ち続ける事は力である。

*神のことを語るのに最良なのは、行動でみせることである。愛、強さ、希望、を日々の生活の中でみせることによって、未信者に疑問を抱かせるのだ。“どうしてあの人はこの状況に合ってあんなに強いのだろう?”と。そこから徐々に神について語る事が出来る。

私たちの強さは神からくるものである、と。

*神に喜ばれるのは神を信頼する心である。今回の日本へのボランティア活動で、僕は本当にどうやって2ヶ月間日本で暮らしていけるのか見当がつかなかった。しかし、神は必要な物を必ず提供してくれる。大切なのは、それを恐れずに神に信頼して行動することである。

*一日の終わりに今の人生に感謝しよう。今、僕がもっているものに感謝しよう。

日本へのボランティア活動から帰って来てからは、学校でつらい事が合っても、仕事でつらいことがあっても、毎日僕は神に感謝する事を覚えた。僕は今、家族があり、住む家がある事にとても感謝している。

 

結論:

去年起ったこの東北大震災、津波は主流のニュースからはもう少しづつ省かれているが、だからといって、この地域に及ぼした被害が消えた訳ではない。まだ、何千人という人々が仮設住宅に住み、私たちはその人達の為に常に祈らなければならないと思う。

サポートとお祈り、ありがとうございました!!

 

2012年3月11日  カーディナル 一夫 サンカー

 

東北被災地ボランティア

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました(第1コリント人への手紙5章17節)。」

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東日本大震災ボランテイアに参加して僕の人生が変わった!

 

僕はお母さんのお腹にいる時からクリスチャン! 生まれた時から、毎週日曜日は教会!

神様のこと、イエス様のことは分かっているが、どういう訳か日曜学校では一番?のいたずら、腕白、マイペース。ただクリスチャンファミリーだから教会に行っていたような気がする。

だから教会の先生たちには、色々な意味で世話をかけたかな?

 

そんな僕が大学2年の時に日本で大きな地震があって、沢山の人が亡くなり、沢山の教会の人たちがボランテイアに参加していることを知り、僕も大学2年生の夏休みを使い、1ヶ月間ボランテイアに参加したのは、地震が起きてから5ヶ月過ぎての8月だった。

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キリスト系の団体CRASHというボランテイア団体のスタッフとして石巻に派遣された。

あたり一面、めちゃくちゃに破壊された家の残骸、車の残骸、小さな船、巨大な船、その残骸の山、山、山が果てしなく広がっていた。

 

新聞の記事に沢山の被害を受けた写真が載っていたが、実際に自分の目で見ると、まるでこれが地獄なんじゃないだろうか、と思わされた。あたり一面破壊の跡に言葉も出なかった。

実際に自分の目で見てみなければ、分からないことが沢山あった。

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そんな中で色々な人たちがボランテイアに来てくれて、そういう人たちと一緒に町の消毒や、地震で潰された家の片付けを手伝ったり、小学校に行き子供達と遊んであげたり、毎日毎日、破壊された町並みを見て回った。

 

その景色を見ながら、出てくるのはため息ばかり、多くの人が亡くなり、自分は何故神様から生かされているのかを考えさせられた1ヶ月間だった。

 

ボランテイアを通して、一番嬉しかったことは、クリスチャンだという事で、震災にあわれた人たちから信頼されたこと。ある宝石屋さんだった、泥だらけで潰れたお店からの宝石探しに、この僕がクリスチャンだからと言う事で、特別にお手伝いを依頼され、宝石探しをした。不謹慎かもしれないけど、まるで宝探し見たいで、楽しい?仕事のひとつだつた。

なぜなら、宝石をひとつ見つけるたびに店の人がすごく喜んでくれたから。後でその人が、内緒だが、この宝石探しはクリスチャン以外の人には頼めない」と僕に言っていたことを思いだす。この僕が、ものすごく信頼され、頼りにされ、涙ながらに感謝されたことは、本当に色々考えさせらた。

 

もうひとつは、小学校に呼ばれ、子供達の遊び相手になったこと。僕は体も背丈も大きいので、何人もの子供が僕の腕にぶら下がりたいと、沢山の子供が僕に寄ってきたこと。子供たちは、順番、順番に僕の腕にぶら下がり、大きな声で笑っていたことを思い出す。

 

この二つのことが、あの暗い、地獄ような場所でのボランテイア活動の中でも、楽しいひと時だった。

 

もうひとつ忘れられないのは、ある会社の社長さんの一言。その会社の沢山の社員がなくなり(40人以上の社員が亡くなった)、その社長さんから、生かされていることを感謝しなさいと言われたこと。クリスチャンではないその人が、クリスチャンの僕をそうして励ましてくれたことは忘れられない。その人の地震で潰れた会社の掃除を手伝ったことが、すごく感謝され、自分の大事にしていた、地震でただ一つ残った大きなメキシコ製の帽子を、僕にくれた。これを見ていつも、ここでのことを忘れないように、しっかり生きろよと、言われたことが忘れられない。その帽子は、家においてあります。

 

本当に沢山、いろいろなことを考えさせられた1ヶ月だった。多くの人たちがボランティアで震災で大変な苦しみの中にある人たちを助けて働いていた。ボランテイアのあとアメリカに帰り、大学でこのままのんびりしつづけるのがいやだった。9月からの大学3年の新学期を迎えず、そのまま大学を中退して、米国陸軍に入隊した。人を助けたいと思った。ただいま陸軍航空部隊に所属してイタリヤの米軍基地に派遣されている。

 

陸軍の卒業式、日系人は僕、ただ一人、基地でも僕一人、色々なつらい事も沢山あるが、あの地震のボランティアを通して、イエス様が自分といつも一緒に生きてくれて、いつも一緒だということを再確認しながら、今僕は生きている。

 

いつか、またあの復興された、石巻に行ってあの笑顔の子供達と再会したい。

そしてイエス様にあって新しく造られた僕をもう一度皆に見てもらいたいと思っている。

 

松本秀一 イタリヤ在住 ウエストロサンゼルスホーリネス教会メンバー

 

 

 

 

 

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